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「いごこち(居心地)― IGOKOCHI」宣言

安原喜秀


いごこち(居心地)―IGOKOCHI―という言葉が日常の世界の合言葉になるよう提案します。将来、世界共通語になることを願って。
これは日本語です。この素晴らしい日本語を皆さんと共有したいと思います。

 今、人間、人間同士のつながり、人と環境とのつながりも大きく変化していく時を迎えています。私たちは、私たちの財産としての、先人達の感性と努力に敬意を表し、それを後世につなげていきたいと思います。
そこで世界にむけて、いごこち(=あらたな生活の思想として)という言葉を発信し、お互いに共有して、世界の変化に対応していくための合言葉として使っていくことを提案します。

 日本人は古くから「心地(ここち)」という言葉を大事につかってきました。
自分の身の回りの何かから感じ取った自分の気持ちであり、受身の心持ちです。
近代になって、自分の心持ちのおさまりどころのようなものとして「心地(いごころ)」をもち、明治時代の後半になって、自分というものがさらに押し出されて「居心地」という言葉になったようです。
自分の心持ちに、自分のいま居るところの場所性が加味されてきました。近年ではいま居る所ということで居場所という言葉がそれに後押しをしています。いごこちは居場所の心地にもなりました。そして、いまでは、みずからの心の置き場所にまでひろがってきています。

 いごこちは、通常、その「良さ」と「悪さ」で評価され、空間に対する心の状態が総合的に表されます。
空間に漂うものが身体で受け止められ、生じる感覚的な快適さと、心の中に生じる不安、すなわち安心・安寧・平和・おだやかさ・やすらぎ・幸せな気分、などと微妙に関係してはいます。しかしいごこちはそれら、身体の快適さや心の中の平安とは区別されるものであり、身体と心という大きな山の間にある、海のように広く深い概念です。

 誰もがいごこち良さを求めています。
環境・自然や、人間関係や、家にそして心の中など、ひいては芸術にいたるまで、いごこちを求めています。いごこちは自分のものではあるけれど、他人のいごこちをも考える時がきました。他人のいごこちを思おう、そのように思う時がきました。

 また、いごこちは日頃の暮らしのなかで必要なものです。
暮らしのなかでは、高邁な思想はどこまで役にたつでしょうか?生活のための高い理想などにはこだわりません。それでも生活に思想が欲しい、なぜなら、私たちはいつもどう行動しようかと考えているからです。江堂の規範となるものが思想といえるなら、いごこちは日常生活を導いていく思想になっていくでしょう。

 いままで、どんな生活の思想があったでしょうか。先達は暮らしの思想が、伝統的な習慣、儀式のなかにあったと言っています。
それらのなかに、いままで無意識ながら引き継がれてきたもののひとつが生活の思想としてのいごこちではないでしょうか。場がつくられ気がつくられ、人々はそこから享ける快適さや心の平安(いごこち)を享受してきたのではないでしょうか。

―いま急ぎ提案したい緊急の理由は・・・
 この変化の時代に、緊急に解決をもとめられているのは人類の住家である地球のガイア(地球の生理能力)が悲鳴をあげていることです。地球のいたるところでいごこちが悪くなっているといえる時代、あらゆる場所での共存・共有の条件が危機的な状況にありながらその解決の道は遅々としています。
いごこちは環境を手元に引き寄せる言葉としてもあります。ともすれば、ひとごとのように通しものとし、勝ちな環境を、身近ないごこちと引き合わせたときに、人と環境との繋がりが具体的に見えてきます。

 解決の歩みを進めるには、そればかりではなく、世界の人間同士のつながりを少しずつでも強固にしていかなければならない。対立において、相手を否定・抹消する志向からは脱却しなければならない。幸いに私たちはそうでない志向も持っています。世界中の人が、共存できる道はただひとつ。決して暴力の道ではないのです。

 暴力を止める道は、暴力を振るおうとする人間の内側にある意識に眼をむける必要があります。人間の行動をうながしている意識。その意識にみずから意識をむける、いはば、しばし自分を見つめる意識。心の中にあるいごこちの悪い物を追い出し、心の中のいごこちを良くし心の平安を持つこと。
自己を解放し。押さえつけ思い込まされているもの、それらを取り除き、自分のなかに湧いてくる豊かな感情 みつめそれを考えるようにすること。人間の誰しもが憶測に秘める「良心」をたずねてそれぞれが内からひかり輝くこと、道はそこにあると思われます。

 みんなひとつ。ひとつから生まれています。だから本来繋がっているのです。人間はとても古いものです。どうしてふたたび、みんながひとつになれないのでしょうか。どうして一緒にやっていけないのか。いごこちはみんなをつなぐはずです。みんながいごこちを考えていくのがひとつの道だと思われます。

 そして、いごこちは物事の、人間のつくる「みえる姿(外観)」の違いを問題にするのではありません。人が外観にこだわらないとき、速やかに世界共通になりうるものは、眼に見えないいごこちなのです。
それがあることを、世界中の人が知っていると確信します。

 いごこち(居心地)―IGOKOCHI―という言葉が日常の世界の合言葉になるよう提案します。将来、世界共通語になることを願って。
これは日本語です。この素晴らしい日本語を皆さんと共有したいと思います。


第一般(二〇一五・六・一〇)